昨晩こんな夢を見ました。
山寺にある座敷の柱時計が十一回、時を刻んだ。百日を越えて悟らなければ、死ぬが良い。和尚は言った。自分はその覚悟で出家した。今宵がその百日目である。寺の縁にひとり座して、造作なく置かれた石の庭に向かい、自分は思念した、無想した。悟りとは何か、無とは何か、どうして悟らなければならないのか、悟ってどうなる。悟りを得らねぬままに、時が流れた。
あとひと時で自分は自刃する。膝先に刀が置いてある。覚悟はできている。悟れぬからには仕方ない。自分は百日の間、この寺に座り続けた。目の前には庭がある。灯篭の明りが、苔むした石を幽かに照らす。百日の間、見続けたいつもと同じ庭。石がある、土塀がある、その向こうに闇がある。しかし、無はどこにもなかった。闇と無は違う。悟りは一向に具現しない。今更、思い残すことはない。間もなく死ぬというのに、妙に落ち着いた気持ちで庭を見ていると、雪が降り出した。ゆっくりと静かに落ちては、石の庭に積もってゆく。雪の夜に死ぬのもよいと思った。
雪の落ちる様を見ていると、時計が十二の時を打ち始めた。ボーンとひとつ、そして、ふたつ、それから十二回、座敷の時計は時を刻み終えた。百日が過ぎた。自分は終の覚悟を決め、脇差を左手に取り、刀を鞘から抜いた。刃先を腹に当て、束を握る腕に力を込めた。その刹那に時計がボーンともうひとつ時を刻んだ。はっとして、庭に目を遣った。今しがた降り始めたばかりの雪がいつの間にか庭一面を覆い、闇の中に青白い光を放っていた。無がそこにあった。
Nakatani


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