第二次世界大戦の末期、1944年8月、パリ、ドイツ軍のパリ占領司令官コルティッツ将軍は、連合軍の進攻と同時にパリを焼き払えという、ヒトラー総統の命令を受けていた。コルティッツ将軍は工作隊に命じ、パリのエッフェル塔、ルーブル美術館、ノートルダム寺院をはじめ、あらゆる工場、記念碑、橋梁、地下水道などに爆薬を設置させる。やがて、レジスタンスが決起し、市街戦が始まる。市民は武器を手に立ち上がった。そして、連合軍のパリへの進攻が始まる。パリを廃墟にせよとの総司令部指令を受けていたコルティッツ将軍の胸中は揺れていた。ドイツは負ける、その上、この美しい都市パリを焼け野原にするのは耐え難い。ドイツ総司令部からのパリ爆破命令は、コルティッツ将軍次第だったが、彼は終にその命令を実行することなく連合軍に投降する。8月25日、連合軍がパリ市内に入った。ノートルダムの鐘が響き渡り、パリ市民は狂喜して町に溢れ出した。その頃、投降したコルティッツ将軍の部屋の受話器から、甲高いナチス総統ヒトラーの声が叫んでいた。
パリは燃えているか、くりかえす、パリは燃えているか?
以上はフランスの映画監督ルネ・クレマンの名作“パリは燃えているか”の粗筋です。私この映画のことを最近知りました。DVDで販売されていませんので、実際にはまだ観ていないのですが、ネットで史実を調べて、コルティッツ将軍に感銘を受けました。パリを戦火から護ったのはイデオロギーでもなく、正義でもない。レジスタンスでもなく、連合軍でもない。パリを護ったのはドイツ軍のコルティッツ将軍だったのです。そしてパリを護ったのはコルテュッツ将軍にこの街を破壊するには耐え難いと思わせたパリの美しい建物、その街並みだったのです。
思えば、私が学生時代の四年間を過ごし、今は最愛の妻と二人の息子が住む美しい街、京都もまた戦争中に連合軍により一発の爆弾も落とされませんでした。京都を太平洋戦争の戦禍から護ったのもまた連合軍にこの街を破壊するには忍び難いと思わせた京都の歴史が慈しんだその美しい建物であり、その街並みだったのです。
ペンは剣よりも強いと言われますが、美しい建物はそれを破壊しようとする爆弾よりも強いのです。私は建物のもつ底力をその可能性を再認識し、一人興奮しました。そして、私が今、非力ながら全身全霊を込め取り組んでいる美しい建物、次世代型共同住宅PRIMAの事業により強い自信と確信を得たのです。戸建て住宅であれ、アパートであれ、プレハブの建物を、ローコストの建物を使い捨てる時代は終わりました。これから日本が成熟した豊かな社会へと移行するために最も必要なのは幾世代にもわたり永く住み継がれる社会資産としての住宅です。美しいものはそれを大切にしようとする人の気持ちにより自然と長持ちするものです。私の家造りの哲学に間違いはありません。




コメント:3
こんにちは、ふなっこです。
私の故郷札幌は歴史が浅く、京都のような歴史的建造物は少ないのですが、残存する建物はやはり「札幌時計台」や「旧北海道庁」に代表される”美しい建物”です。
札幌時代の勤務地は、この札幌時計台の隣のビルでした。
鐘の音がするたびに、オフィスの窓から時間を確認していたことを懐かしく思います。
ハワイや沖縄にハマり、リゾートホテルにあこがれてスタートした我が家の家作りでしたが、中谷教授の提案を見て、なんのためらいもなく180度方向転換をしてしまったのは、”美しい建物”札幌時計台を思い出させてくれたからなのかもしれません。
札幌時計台の竣工図です。
http://www15.ocn.ne.jp/~tokeidai/02.html
結果的に通ずるところがありますよね。
中谷教授がここまで見抜いていたとしたら、すごい。
ふなっこ様、コメントありがとうございました。返事が長くなったので、ブログにしました。見てください。
同じ事が倉敷の大原美術館にも言えます、満州事変の捜査のため来日したリットン調査団が立ち寄ってこの場所には原爆投下から除外したとの事。
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